リナ・サワヤマのBBCインタビュー 2020年に大ブレイクした日系人歌手の素顔に迫る

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シンガーソングライターのリナ・サワヤマは、「私はアイデンティティの危機がどんどん大きくなるのを経験してきました」と言う。

 

「たとえば大学に入学したことなど、自分に起こったことは実際には起こっていないと感じるようになりました。自分の人生のすべてを疑っていたのです」。

 

自分の人生を取り戻すために、彼女は家族の歴史を掘り起こし、パンセクシュアルな日系イギリス人女性としての自分のアイデンティティを読み解くための、長く繊細なプロセスを開始した。

 

「確かに大変でしたが、同時に精神浄化作用もありました」。

 

これが2020年最高のアルバムの一つを作り出したのである。 ポップス、オペラ、ハウスミュージック、ヘアメタルがワイルドに融合したこのアルバムは、リナの内部にある悪魔的な部分を説得力のある自画像に仕立て上げた。

 

うつ病、人種差別、疎外感、家族のトラウマ、セクシュアリティに対する内在化した羞恥心など、29歳の彼女にとって最も暗いはずの時間を44分にわたってさらけ出しているが、それが美しく、かつ非常にキャッチーなものに出来上がっているのである。

 

「このアルバムのおかげで平静を見つけ出すことができたとは言いたくないけど、私の家族のアルバムのようなものです」と彼女は言う。 「長い時間がかかったけど、自分の語り方を見つけました」。

 

 

 

1990年新潟県に生まれ、5歳の時に両親と共にロンドンに移住。日本の学校に通いながら、学業以外に書道とダンスを習っていた。

 

しかし10歳でイギリス国教会の学校に転校した彼女は、自分の家族を「よそ者」扱いするまわりの人の意見を聞かされ、溶け込むことができなかったという。

 

本当に大変な時期は両親が離婚した時に訪れた。 それはつらい出来事で、金銭にまつわる言い争いのせいでスムーズに進まず、リナは板挟みにされていた。

 

「私の両親はずっと争い続けていたし、そのためには自分たちの子供を利用することもあった」と彼女は語る。 「よくある話です。『ああ、あなたのお母さんはこういう人だ』『まあ、あなたのお父さんたらこんなことを言うのよ』という感じでした」。

 

「周りにいる人たちがみんな違うことを言うので、私は何が本当で何が本当ではないのか分からなくなってしまったんです」。

 

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自分がパンセクシュアルであることに気づいたことが、問題を複雑にした。 彼女はまだ両親とこのトピックについてちゃんと話していない。

 

その後、思春期が訪れる。

 

「私は13歳のときに成長期が訪れたんです。最悪でした」と彼女は言う。

 

「ママとは私が15歳のときまで部屋をシェアしていました。いい雰囲気ではありません。近すぎたのです。朝の7時から声を張り上げて言い争いをしていました」。

 

こうした状況に対応すべくリナは学業に打ち込み(「私はちょっとオタク気質です」)、ロンドンの音楽シーンに身を投じた。しかし、それもトラブルにつながっていく。

 

「私はカムデンの近くで育ったので、ライヴにはいつも行っていたし、学校に行く日の夜は22時まで家に帰らなかったので、母は本当に心配していました」。

 

ある日、The Braveryのライヴで初対面の人に会ったあと、彼女はフランスに逃亡したこともあった。

 

「彼女が『パリにいらっしゃい』と言ってくれたので、彼女のパリの家に泊まったんです。猫がいっぱいる部屋で、彼女はタバコを吸っていて、天井にはタールが付いていました。今考えると、とてもクレイジーな話だわ。私は15歳だったんだから!」

 

「でも文字通り人生を決めた瞬間だったんです。そこで音楽への愛、ライヴへの愛、音楽を取り巻くコミュニティへの愛を発見したのです」。

 

彼女はアルバム収録曲「Paradisin'」の中で、母親からの怒りの電話で夜の外出を中断させられた時のことを振り返っている。

 

「私たちはラップトップを共有していたから、お母さんはMSNメッセンジャーで私の友達と話していたの。『リナはどこにいるの?帰ってこないんですけど』」

 

「だから私が誰かとキスをしていたら、ママがその人の番号を手に入れて電話をかけてきたものです。」

 

「サワヤマ・ママはまるで探偵のようだった。ママは本当に私を追いかけていました。だから、あの曲をカーチェイスのような曲にしたかったんです」。

 

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最終的にリナは学校で良い成績をおさめ、ケンブリッジ大学に入学し、心理学、社会学政治学を学んだ。

 

しかし、その環境は彼女の疎外感を増幅させるだけだった。

 

「あなたが一緒に育ったことのないクラスメイトたちに紹介されるんです。未来のボリス・ジョンソンや図書館で見かけるのと同じ苗字の人たちばかりでした。ただ、こういう人たちのいる世界が何なのか全く理解できなかった」。

 

大学にはミュージックーンもなかったが、彼女の曲作りに影響を与えた。

 

「私は論文のようなもののつもりでアプローチするんです」と彼女は笑う。 「書きたいものについてリサーチして、本を読んだり、映画を見たり、ポッドキャストを聴いたりして、数か月かけて頭の中を言葉でいっぱいにするのが好きなんです」。

 

彼女のデビューアルバムには、「Won't you break the chain with me?」というタイトルのエッセイがあり、それぞれの曲が章立てになっていて、世代をまたいだ悩みや文化的アイデンティティについての様々な側面を探っている。

 

それは厳格で立派なものに聞こえるかもしれないが、幸いなことにリナはポップスの中でも最も荒唐無稽な時代の1つの時期に音楽を学んでいた。

 

「影響を受けたのはチャートミュージックで、2000年代初頭のチャートは混沌としていました。ある週にはニュウメタル、次の週にはバブルガムポップ、翌週にはファレルとティンバーランドR&Bをプッシュしていました」

 

「私はそういったすべての音楽が大好きだから、それらの音楽をミックスしてこのアルバムを作りたいと思ったんです。とてもピュアなものなんです。クールになろうとしたわけじゃないんですよ」。

 

 

 

「XS」ではデスティニーズ・チャイルドのメロディーとコーンのギターリフがミックスされ、「Snakeskin」ではファイナルファンタジーの勝利のファンファーレとベートーベンのソナタがミックスされているが、不思議なことにすべてがうまく出来上がっている。

 

「家族のドラマがたくさんあったので、ドラマチックに聞こえるようにしたかったんです」と彼女は語る。

 

「『とにかくみんなを踊らせたい!』という感じではありませんでした。セカンドアルバムではそうするかもしれないけど、ファーストアルバムでは、語らなくてはいけないことがあったのです」。

 

しかし、アルバムをリリースするのは簡単なことではなかった。 2017年のデビューEP『Rina』で話題を呼んだ彼女の艶やかなポップさから、グランジ風で耳に響くギターを取り入れたことでトーンの変化があったからである。

 

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デビューシングル「STFU!」。 この曲は、西欧に住む日本人女性として受けた人種差別的でフェティッシュなコメントに対する、攻撃的で露骨な反応を示したもので、これを聞いたレコードレーベルのいくつかはためらいを見せたのだ。

 

リナによると、あるメジャーレーベルはリナがこの曲を聞かせたあと、交渉から手を引いたという。 彼女はその後、重役の一人が彼女のいないところで「リナ・ワガママ」と呼んでいたことを知った。 この曲で歌っていることがある種証明されてしまったことになる。

※訳注:「Wagamama」はイギリスの日本食レストランのチェーン店。そのため「我がまま」の意味は知らなくても「ワガママ」という日本語を知っているイギリス人は多い。

 

このアルバムは最終的にThe 1975のレーベル、ダーティー・ヒットのオーナー、ジェイミー・オボーンの手に渡ることになったが、彼は何の不安も感じていなかった。

 

「彼は大笑いしていました。彼は最初から気に入ってくれたんです」とリナは最近ビルボード誌に語っている。

 

リナのビジョンに対する彼の自信はアルバム『Sawayama』がリリースされたときに報われ、大西洋の両岸で絶賛された。 ローリングストーン紙はこのアルバムを「スリリングな音楽的冒険」と呼び、インディペンデント紙はこの新人を「今日のポップ界で最も大胆な声の一つ」と評している。

 

さらにペーパーマガジンは「リナ・サワヤマは私たちの好きなジャンル」と結論付けた。

 

 

 

リナはレビューを読まないようにしている。 「自分自身について良く書かれたものを読むことがいいことなのかどうかは分からない」と。 しかし、このアルバムは最も重要な批評家である彼女の母親からサムズアップをもらった。

 

「彼女に送ったら、すごく気に入ってくれたわ」。

 

最後のトラック「Snakeskin」には、サワヤマ・ママが60歳の誕生日に、人生についてどのように感じているかを振り返って録音したインタビューが使われている。

 

「私は今、私が見たい人に会いたい、やりたいことをしたい、なりたい自分になりたいと思っていることに気付いたの」とお母さんは日本語で言っている。

※訳注:曲の最後、ピアノの演奏にかき消されるようなボリュームで日本語らしき話し声が聞こえるが、内容は聞き取れない。

 

それはリナがアルバムを作る過程でたどり着いた結論でもある。 この経験を共有することは、彼女の中に残っていた苦悩の一部が自然と「溶けていく」ことを意味していた。

 

「人は物語を作ることで、自分の人生の全容を解明しようとするものです」とリナは言う。

 

「他の人たちなら嘘をついてしまうだろうが、このアルバムはそういうものではない ― 27歳でこのアルバムを書き始めたときにそう感じていました」。

 

「他の人たちにとってはそれが彼らの真実のバージョンですが、このレコードは私の真実のバージョンなんです。何かとても開放的なものがあるんです」。

 

 

 

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